2019年6月30日日曜日

ジュール=アンリ・ポアンカレ

ジュール=アンリ・ポアンカレ(1854年~1912年)

ジュール=アンリ・ポアンカレは、フランスの数学者です。
純粋数学、応用数学で優れた業績を残しました。


■ ポアンカレ予想

ポアンカレ予想とは、位相幾何学(トポロジー)における定理で、3次元球面の特徴づけを与えるものです。
「単連結な3次元閉多様体は3次元球面 S3 に同相である」
と主張しています。

ポアンカレ予想はクレイ数学研究所によりミレニアム懸賞問題の一つに指定され、証明した者には賞金100万ドルが与えられることになりました。
ロシアの数学者であるグリゴリー・ペレルマンがプレプリントサーバにポアンカレ予想の証明を2002年から2003年にかけて投稿し、数学者チームの検討の結果、誤りがないことが発表されました。
ペレルマンには2006年のフィールズ賞、2010年3月18日にミレニアム賞が贈られることになりましたが、ペレルマンは両方とも辞退しています。ミレニアム懸賞問題の賞金と賞品は保管されることとなりました。


★ジュール=アンリ・ポアンカレに関する雑学

アンリの従弟のレイモン・ポアンカレは、フランス共和国第10代大統領を務めました。


★備考

Jules-Henri Poincaré
生没年:1854年4月29日~1912年7月17日(58歳)
生地:フランス、ナンシー
没地:フランス、パリ
従弟:レイモン・ポアンカレ(フランス共和国第10代大統領)
1875年、エコール・ポリテクニク卒業
1879年、カーン大学講師
1881年、パリ大学
1885年、パリ大学教授
1887年、パリ科学アカデミー会員

2018年12月3日月曜日

フェルディナント・フォン・リンデマン

フェルディナント・フォン・リンデマン(1852年~1939年)

フェルディナント・フォン・リンデマンは、ドイツの数学者です。


■ 超越数

代数的数でない数のことを「超越数」と呼びます。これはどのような有理係数の代数方程式の解にもならないような複素数のことです。
超越数の例としては円周率 π 、自然対数の底 e があります。
超越数は 1831年に J.リュービルによって初めて存在が証明され, 1873年にはシャルル・エルミートによって e が超越数であることが示されました。リンデマンは 1882年にπ が超越数であることを証明しました。

この証明によって、円積問題の作図が不可能だということが証明されました。円積問題とは「与えられた長さの半径を持つ円に対して、定規とコンパスのみの有限回の操作で、その円と面積の等しい正方形を作図することができるか」という問題で、古代からの未解決問題として知られていました。

★備考

Carl Louis Ferdinand von Lindemann
生没年:1852年4月12日~1939年3月6日
生地:ドイツ、ハノーバー
没地:ドイツ、ミュンヘン
1873年、エアランゲン大学卒業
1879年、フライブルク大学教授
1883年、ケーニヒスベルク大学教授、
1893年、ミュンヘン大学教授
1904年、ミュンヘン大学学長

2017年8月31日木曜日

ソフィア・コワレフスカヤ

ソフィア・ヴァシーリエヴナ・コワレフスカヤ(1850年~1981年)

ソフィア・コワレフスカヤはロシアの数学者です。

コワレフスカヤは父や叔父の影響で、幼少時から数学に興味を持っていました。しかし当時のロシアでは女性が高等教育を受けることは許されておらず、ハイデルベルク大学では非公式の聴講生として講義を受講していました。
そのような不遇な状況に置かれていたコワレフスカヤでしたが、ハイデルベルク大学での師であるレオ・ケーニヒスベルガーから、カール・ワイエルシュトラスへの賞賛の言葉を何度も耳にし感化されます。後にコワレフスカヤはドイツ、ベルリン大学のワイエルシュトラスを訪れ、彼に才能を認められ長きに渡り数学の教えを受けることとなりました。

1884年にはスウェーデンの数学者であるミッタク=レフラーの支援によりストックホルム大学非常勤講師となり、その後1889年に晴れて教授となります。ロシア人女性としては初の大学教授でした。


■コーシー=コワレフスカヤの定理

コワレフスカヤはクレレ誌において偏微分方程式についての研究論文を発表し、この中で現在「コーシー=コワレフスカヤの定理」と呼ばれる定理を証明しました。
この理論はまずコーシーが特別な場合の解を与え、コワレフスカヤは更に一般的な場合の解を与えて理論を完成させました。


★ソフィア・コワレフスカヤに関する雑学

・コワレフスカヤはロシアで初めて女性大学教授となりました。
ヨーロッパを含めるとラウラ・バッシが初めて、マリア・ガエターナ・アニェージが2番目、コワレフスカヤが3番目となります。

・ノーベル賞には数学賞がありません。その理由は明らかになっていませんが、一説ではノーベルのコワレフスカヤへの恋心が実らず、もしもノーベル数学賞を作ったらコワレフスカヤと親しいミッタク=レフラー(スウェーデンの数学者、1846年3月16日~1927年7月7日)が受賞するかもしれないと考えたためではないか、とも言われています。

・コワレフスカヤは数学の他に文学的才能も持ち併せており、彼女の執筆した小説は多くの国々で翻訳・出版されています。


★備考

Sofia Vasilyevna Kovalevskaya
生没年:1850年1月15日~1891年2月10日(インフルエンザのため)
生地:ロシア、モスクワ
没地:スゥエーデン、ストックホルム
夫:ウラジーミル・オヌーフリエヴィチ・コワレフスキー (地質学・古生物学者)
父:ヴァシーリイ・ヴァシーリエヴィチ・コールヴィン=クルコーフスキー
 ( ロシア帝国軍陸軍中将 、1800年~1874年 )
母:エリザヴェータ・フョードロヴナ・シューベルト
祖父:テオドール・シューベルト(数学者・天文学者)
叔父:ピョートル・ヴァシーリエヴィチ・クルコーフスキー
姉:アンナ(作家、1843年~1887年)
弟:フョードル(ロシア帝国軍将軍 )
主な著書:『ソーニャ・コヴァレフスカヤ―自伝と追想』
 
 

2016年10月8日土曜日

フェリックス・クライン

フェリックス・クリスティアン・クライン(1849年~1925年)

フェリックス・クラインはドイツの数学者です。幾何学の研究指針について示した「エルランゲン・プログラム」が大きな業績です。


■エルランゲン・プログラム

1872年、クラインはエルランゲン大学の教授となりましたが、その時の就任講演において幾何学の研究の指針についての考えを示しました。その内容は「幾何学とは、変換によって不変な図形の性質を研究するものである」というもので、「エルランゲン・プログラム」と呼ばれています。この考えにより当時の様々な幾何学が、変換群という視点で分類できるようになりました。


■クラインの壺

クラインは下図のように、矢印を付けた正方形について対辺を矢印の向きが合うように貼り合わせた図形を考案しました。

 ・←←←・
↓ ・ ・ ・ ↓
↓ ・ ・ ・ ↓
 ・→→→・

この図形は「クラインの壺」と呼ばれ、表裏の区別がなく境界もない図形となっています。
クラインの壺は3次元空間に存在することはできません。


★備考

Felix Christian Klein
生没年:1849年4月25日~1925年6月22日
生まれ:ドイツ、デュッセルドルフ
父:プロイセン王国政府首長秘書
妻:アンネ・ヘーゲル
主な著書:『19世紀の数学』、『高い立場からみた初等数学』、『正20面体と5次方程式』
 

2016年2月27日土曜日

ゲオルク・カントール

ゲオルク・フェルディナント・ルートヴィッヒ・フィリップ・カントール
(1845年3月3日~1918年1月6日)

ゲオルク・カントールはドイツの数学者です。集合論や無限に関する研究で業績を残しました。


■超限数

カントールは無限には異なる種類があることを見出し、超限数と名付けました。現代数学では無限集合同士の大小を比較するために、「濃度」という概念を用いています。
超限数は「 ℵ (アレフ)」の記号で表されます。無限集合のうちで濃度が最小のものは「 ℵ0 (アレフ・ゼロ)」で表し、自然数全体の集合 N がこれにあたり「可算濃度」と呼びます。また、整数全体の集合 Z や有理数全体の集合 Q の濃度も ℵ0 となります。一方、実数全体の集合 R の濃度は 2^ℵ0 となります。


■連続体仮説

カントールは、「可算濃度と連続体濃度の間には他の濃度が存在しない」、つまり「 ℵ0 より濃度が大きく 2^ℵ0 より濃度が小さい無限は存在しない」とする仮説を立てました。
カントールは対角線論法により可算濃度より連続体濃度の方が大きいことを証明しましたが、連続体仮説については証明することができませんでした。
この連続体仮説は1900年の第2回国際数学者会議において、ドイツの数学者ダフィット・ヒルベルトによる「ヒルベルトの23の問題」の第1問題として挙げられました。後にクルト・ゲーデル、ポール・コーエンの研究により、連続体仮説は証明も反証もできない命題であることが証明されています。


★備考

Georg Ferdinand Ludwig Philipp Cantor
生没年:1845年3月3日~1918年1月6日
生まれ:ロシア、サンクトペテルブルク
父:ゲオルク・ヴァルデマール・カントール
母:マリア・アンナ
弟:コンスタンティン
妹:ゾフィー・ノビリンク
妻:ファリー・グットマン
息子:2名
娘:4名
主な著書:1885 年『実無限に関するさまざまな立場について 』