2012年3月11日日曜日

ジェローラモ・カルダーノ

ジェローラモ・カルダーノ(1501年~1578年)

ジェローラモ・カルダーノは、イタリアの医者・数学者です。
3次方程式の解法や、虚数の概念を導入したことで知られています。


■3次方程式の解法

当時のイタリアでは公開の場での数学試合が盛んに行われており、数学者達の間ではこの試合に勝つことが地位や名声を得る手段の一つとなっていました。

この試合でタルターリアが3次方程式の解法を知っているということが話題になり、数学書を執筆していたカルダーノは、タルターリアに解法を伝授してくれるように頼み込みます。
タルターリアは何度頼まれてもカルダーノの頼みを聞き入れなかったのですが、ミラノの有力者へ紹介するというカルダーノの誘いに乗り、ミラノで様々なもてなしを受けます。

その後しばらくしてカルダーノはついに解法をタルターリアから聞き出すことに成功するのですが、その際には「解法を公表しない」という誓いを立てさせられたといわれています。ただしカルダーノの弟子のルドヴィコ・フェラーリによるとそのような誓いは立てていないことになっており、真相は定かではありません。


タルターリアが得ていた解法はある特殊な形をした3次方程式のものだけだったのですが、タルターリアから解法を教ったカルダーノは、カルダーノは弟子のフェラーリと共に一般的な3次方程式の解法の研究に取り組みます。

この研究生活の中で、イタリア・ボローニャのシピオーネ・ダル・フェロという数学者が3次方程式の解法を発見しており、その解法が義理の息子アンニバーレ・デラ・ナーヴェに渡っているという噂がカルダーノの元に届きます。

ボローニャのナーヴェを訪ねたカルダーノはダル・フェロがタルターリアよりも早くに3次方程式の解法を得ていたことを知ります。

この後カルダーノは「アルス・マグナ(大いなる技法もしくは代数学の規則)」という数学書を出版しますが、その本に3次方程式の解法を載せていました。

このことを知ったタルターリアは激怒し公然とカルダーノを非難するようになります。
カルダーノは「アルス・マグナ」の中でタルターリアへの謝辞も述べているのですが、それでもタルターリアの怒りはおさまりませんでした。

タルターリアはカルダーノを討論試合の場に出させようとしたのですがカルダーノはこれを受けず、代わりに弟子のフェラーリと試合を行うことになります。

結果はフェラーリの勝利に終わります。
3次方程式の解法は「カルダーノの公式」として、後世に伝わっていくことになります。


■4次方程式の解法、虚数の概念の導入。

カルダーノの「アルス・マグナ」では、3次方程式の解を示す際にカルダーノが世界で初めて虚数の概念を導入しました。
またフェラーリが発見した4次方程式の解法についても記されており、この本はヨーロッパの数学界に大きな影響を与えました。